銀杏あれこれ
先日の難宗寺の大イチョウに関する投稿『公園の手品師🎩』の中でイチョウについて充分に記述しきれていない様に思われましたので、補足説明を今回改めて撮影した画像と共に投稿させて頂きます。
https://community.tullys.co.jp/announcements/uphg46hlvdyow5bh
※日中の画像は12/6の朝、夜間の画像は12/3の撮影です。
イチョウは裸子植物で、一科一属一種の落葉性高木。
裸子植物とは種子植物のうち胚珠(はいしゅ)が剥き出しになったものでほとんどが松や杉のような針葉樹ですが、イチョウは針葉樹ではありません。
樹高20~30m、幹直径2mで大きいものは樹高40~45m、直径4~5mに達します。
イチョウは今から約2億年以上前の古生代末のペルム紀に出現し中生代には世界中で繁茂しました。
一説によると世界中でイチョウが○滅を始めたのは1億3千万年前との事。
被子植物が多様化し広がり始めた時期。
現在は23万5千種以上の被子植物が存在します。
被子植物は進化や繁殖、成長が早く果実や花弁がある為、植物食動物や受粉者にとってはイチョウよりも魅力的。
その為に被子植物はどんどん勢力を拡大し裸子植物に代わって植物界の主流になりました。
新生代になるとイチョウは6600万年前頃に始まった寒冷化と共に北米やヨーロッパから姿を消し始め1万1千年前に最終氷河期が終わった時には中国にしか残っていませんでした。
中国の安徽(あんき)省の森林で生き残っていた野生のイチョウが発見されたのは、11世紀始めの北宋時代。
実が食用となり成長が早く街路樹に適していることから首都である開封(かいほう)に移植されました。
このイチョウが日本に渡来したと考えられています。
『本草和名』(917年)、『和名抄』(932年)、『万葉集』(629~759年)、『源氏物語』(平安中期)にはイチョウの記載がみられず平安時代後半もしくは室町時代に渡来したのではないかと言われています。
諸説ありますが、最初にイチョウの記載がみられるのは『下学集』(1444年)という説が有力です。
しかしそれでは承久元(1219)年に鶴岡八幡宮の石段の大イチョウの下で三代将軍源実朝が○されたという歴史上の事実と矛盾します。
この様子を伝えた『吾妻鏡』(1300年頃)にもイチョウについては書かれていないので、大イチョウの下で○害されたというのは後世の創作なのかもしれないのだとか。
※ちなみに鶴岡八幡宮の実朝を暗○した公卿が隠れていた通称「隠れ銀杏」は2010年の強風により倒伏しています。
ヨーロッパには1692年、後述するケンペルが長崎から持ち帰った種子から始まり、オランダのユトレヒトやイギリスのキュー植物園て栽培され開花したという。
1730年頃には生樹がヨーロッパに導入され18世紀にはドイツを始めヨーロッパ各地で植栽が進んだようです。
【イチョウの呼び名について】
イチョウの学名は“Ginkgo biloba”。
《属名“Ginkgo”》
日本語「銀杏(ぎんきょう)」に由来し、英語やドイツ語、フランス語、イタリア語など諸言語に取り入れられている。
イチョウ綱が既に絶滅していたヨーロッパでは、本種イチョウはオランダ商館付の医師で『日本誌』の著者であるドイツ人のエンゲルベルト・ケンペルによる『廻国奇観』の「日本の植物相」において初めて紹介されたが、そこで初めて“Ginkgo”という綴りが用いられた。
ケンペルは1689年から1691年の間、長崎の出島にいたが、その間に儒学者中村惕斎(なかむらてきさい)の図入り百科事典『訓蒙図彙(きんもうずい)』の写本を入手。
彼自身の“Collectanea japonica”と題された手稿には『訓蒙図彙』の漢字の見出しがリスト化されているページがあり、本来“Ginkjo”もしくは“Ginkio”と書くべきところを誤って“Ginkgo”と表記されている。
つまりケンペルの「日本の植物相」以降、現在まで引き継がれている“Ginkgo”という綴りは、日本でケンペル自身が誤って書き綴ったと考えられている。
このケンペルの綴りが引き継がれて、1771年「分類学の父」カール・フォン・リンネが著書にイチョウの属名を“Ginkgo”として記載した。
詩人ゲーテは『西東詩集』「ズライカの書」(1819年)で「銀杏の葉」Ginkgo bilobaという詩を綴っているがゲーテ全集初版以降、印刷では“Gingo biloba”と表記されている。
ゲーテは科学者として学名Ginkgo bilobaをただしく認識していたが、詩人としてGingoという語を創作して付けたという。
《種小名“biloba”》
こればラテン語による造語で「2つの裂片(two lobes)」の意味であり、葉が大きく2浅裂することに由来している。
また黄葉の縁がブロンドの少女のカールヘアに似ている事から、英名ではイチョウは“Maidenhair tree”と名付けられている。
※以上この項wikipediaより要約
植物名の「公孫樹(イチョウ)」は公(父)が撒いて孫の代で実が出来るという意味。
葉を黄蝶に見立てて「一蝶」であったのが、江戸時代の仮名表記で「イチテフ」となりそれがなまったのが「イテフ」になったとか、「一蝶」がなまって「イテフ」になったなど諸説あります。
中国には「公孫樹」「銀杏」をはじめ「鴨脚」「鴨脚子」「白果」など多くの名前が伝わっており、「鴨脚」「鴨脚子」は葉の形が鴨の足跡に似ている事に由来し、「銀杏」「白果」は種子が白色で形が杏に似ている事に由来します。
イチョウは老木になると幹や大枝から円錐形の気根突起を生じることがあり、これは「公孫樹の乳房」「乳根」「乳頭」「乳柱」「垂乳根(たらちね)」などと呼ばれています。
母乳不足の女性が願掛けに訪れお神酒や米などを供えるなどの風習が各地にみられるそうです。
イチョウは生命力が強く大きく成長しますが樹皮が厚いため火にも強い耐性を持ちます。
こうした特性に着目し大火の多かった江戸時代には火事による延焼を防ぐため火除地(ひよけち)にも植えられたほど。
大正12(1923)年9月1日、関東大震災が発生。
東京市中は猛火に呑まれ、その表面の一部が炎と高温で変質するも焼失を免れたイチョウが。
周囲の樹木はほぼ全部焼失し、唯一生き残ったこの木は『震災イチョウ』と呼ばれ以降「帝都復興のシンボル」として注目された。
2007年の国土交通省の調査によれば全国の街路樹の種別は1位イチョウ57万本、2位サクラ48万本、以下ケヤキ、ハナミズキ、トウカエデ…
幹周り8m以上の巨樹イチョウの日本列島における分布は東日本89(雄株81、雌株8)、中部日本21(雄株15、雌株6)、西日本50(雄株24、雌株26)。
薬用としては種子の仁を生薬名「銀杏」と呼び、鎮咳や頻尿の改善に用いられた他、葉をしもやけに利用されてきました。
また乾燥したイチョウの葉から抽出されるエキスに含まれるフラボノイド配糖体、テルペンラクトンには健常な高齢者の加齢によって低下する脳の血流を改善し、認知機能の一部である記憶力(言葉物のイメージ位置情報を思い出す力)を維持する機能がある事が報告されているそうです。
他にも銀杏の葉は本の紙を食害する紙魚(しみ)除けにもなります。
ご存知の通りギンナンはビタミンCを始めカリウム、マグネシウム、鉄分やミネラルなどを豊富に含む栄養価が高い秋の味覚ですが、4'-O-メチルピリドキシン(ギンコトキシン)という有害な成分をも含んでいます。
痙攣(けいれん)や嘔吐、呼吸困難、意識混濁などの症状を引き起こします💀
成人の中毒量の目安は約40粒。
普通に食する量であれば大丈夫。
子供は5~6粒でも中毒を起こす危険があるとの事なので充分に注意を。
ギンナンの種皮は肌に触れるとかぶれる事もあるので、もし拾う場合はビニール手袋の着用が必須です。
また、ワンコが散歩中に拾い食いをする可能性があるのでくれぐれもご用心😱
イチョウの存在をヨーロッパに紹介したケンペル自身の転記ミスによる誤った綴りですが、「分類学の父」リンネ先生がその誤りに気付かず正しく(?)著書に掲載したので現在の厳格な植物命名規則では訂正出来ないのだそうな😅
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投稿を表示ボンジョルノ〜♪
松戸のとあるお寺さんです
今〜素敵倍増でしょうねえ
良い情報有難う御座います
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投稿を表示子供の頃に銀杏を拾いおやつのように食べていましたが大人になってから毒があるとか聞いてよく生きているなと我ながら不思議ですが地域により雄雌の差があるとは初めて知りました
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投稿を表示この投稿は永久保存版ですね😆
こんなに詳細に調べていただいて、頭が下がりっぱなしです🙏
感謝🥰
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投稿を表示ralikkumaさん
追加情報
その銀杏…
今や東京のシンボルマークと
なっています。